妙見大菩薩について

伝来時

妙見様は、星の信仰から生まれた神様として、古くから仏教のみならず道教・儒教・神道においても崇拝されてきました。

仏教の伝来と共に日本に伝わった「七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経」というお経の中に、次のように説かれています。

「我れ北辰菩薩、名付けて妙見という。今神呪を説いて諸々の国土を護らん。所作甚だ奇特なり。故に妙見という……」

我が国では古くは、朝廷や天皇家において国土守護の神・運命を司る神・また眼病平癒(がんびょうへいゆ)の神として、そのご祈祷の本尊として、妙見法・北辰法等の祈祷が修法されてきました。

その一方で古くから庶民の間にも、妙見様の信仰は広まり、その霊験談が「日本霊異記」や「今昔物語」に記されています。

中世以降

さらに中世になると、その信仰は全国にひろがり、江戸時代までに二百三十を越える、寺院や神社の妙見堂がありました。

武士には武運長久の守護神として、庶民には開運・商売繁盛・海上安全・眼病平癒・安産成就の神として、また関東地方を中心に馬匹(まびき)の神・芸能上達の神としても崇められ、ことに日蓮宗では檀林(だんりん)(僧侶の学校)の本尊として、学問の神さまとして広く信仰されてきました。

明治維新の神仏分離策によって、神道では神としての本地(ほんぢ)(根本の姿)が明らかでないとの理由で圧迫を受け衰微してゆきましたが、ただ仏教寺院、ことに能勢妙見山における、妙見信仰は、江戸時代からの盛況を受け継ぎ、今日に至っています。

妙見菩薩のお姿

妙見菩薩のお姿は、古くから仏教系のものや、道教系のもの・神道系のものがあり、多種多様ですが、能勢妙見山の妙見菩薩のお姿は、江戸中期に日蓮宗の日乾上人によって法華勧請されたものです。(本山の沿革参照

その形像は、鎧を着た武者姿の座像で、右手に太刀を持ち、左手は法印を結び、憤怒の顔は忍辱折伏行化を表現したもので、きざまれた当初は太刀を真っ向に振り上げていたのを、後世になって受太刀(うけたち)(真横)にされたといわれています。妙見宗本山にお祀りされている妙見様も、同じ形像のものです。

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