日照上人の業績

この本瀧(当時寺号はなく、ほんたき または こうたき と呼ばれていた)を、ただ行場としてだけでは、行基菩薩や日乾上人の真の精神には徹しないので、此所(ここ)に寺院を建て、宗理に依る精神教養と行態とを、平行させねばならないと決意されたのが、野間日照上人でありました。

時に日照上人は天台宗修験道に属され、大正十年六月に大和方面より熏香院という寺を本滝に移転する許可を得て、いよいよ寺院建設に着手することが可能になりました。

(いわ)を砕き山を拓いての境内の大拡張、本殿や庫裏(くり)の新築、日照上人は私財をなげうち、また信徒や外護者(げごしゃ)の協力を受け、幾多の困難を乗り越え、心血を注ぎ、法の為に一身を抛(なげう)つ決心での大事業でありました。

大正十五年十一月には、熏香院を「本瀧寺(ほんたきじ)」と改称し、その間も大工事は進み、本殿の落成を見たのは、昭和十年でありました。

本滝に居を移して以来、この大願達成のため、毎年極寒(ごっかん)には毎朝二時に山頂に登り、読経三昧(ざんまい)の祈りを込める行を、死の前年まで続けられました。

落成した本瀧寺は、天台宗の修験道大本山金峰山寺(きんぶせんじ)に属していましたが、日照上人はその後、なんとか自分の理念に叶った一宗派の制定を望みつつ、昭和十七年十二月四日、遷化(せんげ)されました。

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